本日の執筆者はよっしーさんです!
数年前、迎賓館赤坂離宮を娘と見学しました。
迎賓館赤坂離宮は、明治42年に東宮御所として建設された建物です。
内閣府 迎賓館赤坂離宮について
https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/about/
中に入ると、それはそれは煌びやかで、まるでベルサイユ宮殿のよう。
それもそのはずで、ベルサイユ宮殿やルーブル美術館を模倣して作られたのが現在の迎賓館赤坂離宮でした。
中に足を踏み入れた私は、とてつもない違和感が湧き起こりました。
確かに豪華絢爛ですが、日本の美しさとは何か違う…。
日本の皇太子(後の大正天皇)が住む場所(東宮御所)として建てられたはずなのに、日本ではない、まるで外国に来たような錯覚に陥る。
どこをみても「日本らしさが皆無」で、日本の美術にはあまりみられない対象的なデザイン(シンメトリー)と、大理石やシャンデリアに囲まれた西欧風インテリアで覆われていました。
迎賓館赤坂離宮から強烈に発せられているメッセージは、「日本文化の否定」でした。←これは私が感じた直感です。
明治天皇は「豪華すぎる」と難色を示し、結局、東宮御所として建てられた現在の迎賓館に皇太子殿下(後の大正天皇)が住むことはなかったようです。
迫り来る西欧列強の植民地化から日本を守るため、明治維新を成し遂げた日本。
しかしその後の明治期の日本は、日本文化を否定するキャンセルカルチャーを自ら推し進め、西欧諸国文化は進歩的であり、日本の文化は劣っていると思い込み、西欧文化を真似たベルサイユ宮殿のような東宮御所(現在の迎賓館)まで作ってしまったようです。
「西洋は野蛮」
「文明というのは、倫理、道徳に基づいて、物事が広く行われることを称える言葉であって、宮殿が大きく立派であるとか、身に纏うものが綺麗だとか、見かけが華やかである…などといったことではあるまい。」
※「西郷南洲遺訓」より
文明について深い思想の言葉を残した明治維新の立役者・西郷隆盛(明治10年没)は、自分の死後に東宮御所として建てられた、自分の思想と真逆の建築物・迎賓館をみて何を想うでしょうか。
安定的な皇位継承の実現を妨害する男系固執派や自称保守は、明治期の日本を礼讃しているふしがあります。
明治礼讃史観の彼らは、「明治に作られた」男系男子限定継承が日本の伝統だと思っている有様です。
しかし明治期は、長い歴史に裏打ちされた日本の伝統・文化を否定するキャンセルカルチャーを強力に推し進めていた時代だった、とも言えるのではないでしょうか。
明治礼讃史観を見直し、明治の思想的な再考察が必要なのではないか。
そう思えてなりません。
私は迎賓館赤坂離宮から、強烈な日本文化否定のメッセージを直感で感じ取りました。
皆さんは何を感じるでしょうか?
何かが違う、何か居心地が悪い…という直感は非常に大事だと思います。
そして明治礼賛史観の見直し、これは必ずやらなければならないことであるにもかかわらず、右にも左にもそれをやろうと言う人がいない、むしろ右の方が特にやりたがらないという状態で、これも大問題です。